日本語版
(The English Version is here)
―― 最初にDRAGONGATEに入門してドラゴン・キッド選手に師事することになった経緯は?
ダイヤ もともとドラゴン・キッド選手は若手全体の練習をみるコーチです。そんな中、僕は同期入門が10人いた中で1番身体が小さかったこともあり同期内でスパーリングをする時にドラゴン・キッド選手のようなスタイルが適していたので自然と気にかけてもらう事が多かったです。
―― 同期の練習生と比べて師匠のドラゴン・キッド選手の下でのトレーニングはどういう風に違いましたか?
ダイヤ 特別扱いされていたなんてことは一つもなくて、他の練習生と同じように接してもらっていました。
ただ教えてもらう技は他の練習生とは違いましたね。
―― 自分がドラゴン・キッド選手の後継者であることへの思い入れは?
ダイヤ やはり子供の頃から画面越しに見ていた偉大な存在なので後継者指名をされたことは映画の主人公になったかのような夢のようなことです。
―― デビュー時期、もともとマスクマンを目指していたと週刊プロレスによる報道されましたが、仮面レスラーとして闘うことのどこに惹かれましたか?
ダイヤ もともとハイフライヤーへの憧れがあり、僕の中ではイコールマスクマンというのがありました。
なのでマスクマンに憧れはあったのですが、絶対にマスクマンとしてデビューをしたいというこだわりがあったわけではなくて、僕がマスクマンになったことは偶然です。
―― 正常のユニットに入団するずっと前も、2020年のDRAGONGATE3軍世代抗争に参加しましたよね。今ならベテラン世代を代表するPARADOXのYAMATO選手は当時、いわゆるDRAGONGATE世代を率いていましたが、そのときから今までYAMATO選手の印象はどう変わりましたか?
ダイヤ DRAGONGATE世代としてYAMATOさんが先頭に立つ環境にいた時は、とにかくリーダーシップのある人なので着いていけば間違いないという思いでした。
心から尊敬している存在なので、考え方も全て正しいし言う通りに動いてれば良いというような気持ちで、僕自分自身は意思の無いレスラーでした。
今でも変わらず尊敬している存在ですが、今では自分の中にYAMATOさんとは違う角度のDRAGONGATEを盛り上げたいという考え方があるので対等に高め合える存在になれたかなというところまで来たと思っています。
―― 2020年12月はDRAGONGATE世代を去ってMASQUERADEのオリジナルメンバーになりましたが、その決意までの経験を聞かせてください。
ダイヤ 当時DRAGONGATE世代で経験を積んで初タイトルも掴んだり、自分の中で自信も生まれたタイミングでメキシコ遠征中のシュン・スカイウォーカーから帰国後の共闘の誘いの連絡をもらいました。
同じくDRAGONGATE世代だった箕浦康太、ジェイソン・リーにも誘いがあり、彼の帰国後は3人でDRAGONGATE世代を抜けることを決めていました。
そういえば帰国のタイミングは空港まで迎えに行きましたね。
―― ユニットが存在していたその一年に、ダイヤさんがMASQUERADEのメンバーであったのはどんな経験でしたか?
ダイヤ DRAGONGATE世代の時も一応は新世代ユニットという形でしたが、10年以上キャリアの離れたYAMATOさんがリーダーとしていたのでチームとしての方向性は考える事がありませんでした。MASQUERADEはさらに近い世代だけのユニットだったのでリーダーのシュンに任せすぎず、自分自身でユニットの方向性を決めるタイミングがいくつもあり、責任感も生まれました。
結成期間中に鎖骨の骨折で初の長期欠場もあり、タイトル奪取もあり、裏切りも経験し、成長につながるたくさんの経験が出来ました。
―― マスカラ戦でリーダーのシュン・スカイウォーカー選手が自分のマスクを守るためにダイヤさんを捨てたわけMASQUERADEが後に崩れました。捨てられた瞬間の感情は?
ダイヤ 瞬間は何が起きたか分からなかったんです、誰に背中を押されたかも分かってなかったし。
その後、シュンが仲間達に責められている姿を見てなんとなく理解して行きました。
なぜ?という感情だけでした、相手に寝返るわけでなくただただ自分の為に僕を犠牲にしたんですよねあの瞬間は。
―― マスクを失った後、かつてのライバル吉岡勇紀選手と共に1ヶ月ぐらいDRAGONGATEに顔を出さなかったですが、その時どうしましたか?
ダイヤ リングに戻るつもりはもちろんあったのですが、どういう形で戻ればいいのかひたすら考えていた期間でした。
リングネームについてウルティモ・ドラゴン校長に相談したりもしましたね。
吉岡勇紀選手とは共闘したいという思いはあって、向こうも同じ気持ちだったそうで自然と2人で集まってました。
―― 欠場のとき、かつて入団していたユニットの当時の現状をどんな目で見ていましたか?
ダイヤ シュンが壊れていっていると感じてました。彼は自己中心なんです、自分を守るために仲間を犠牲にできてしまうんです、それを正当化したくてもしきれなくなっていって、仲間がついていけなくなってるなとこれは崩壊するなと思いながら見ていました。
―― ほかのメンバーは、ダイヤさんに対してシュン選手の行為を反対しましたが、エストレージャ選手を除いてMASQUERADEの面々は今、また同じユニットで集まっていますね。デビュー時期「最も信頼できる同期だ」と言っていた箕浦康太選手もそうですが、それについてどう思いますか?
ダイヤ これは不思議すぎますよね、彼らも決してシュンについて行ったという訳ではないと思いますけど、よく一緒に戦えるなと。
まあユニットの絆みたいなものはなさそうなユニットなので割り切ってるんですかね。僕から言わせればすごく間違ってるけど正義は人それぞれですもんね。
―― マスクを失って以後初めてリングに戻ってきた時点で、人間及びレスラーとしての成長はどこにあったと思いますか?
ダイヤ あのタイミングで変わった事って自分でもよく分からないんですけど、とにかく全部を失ってもう失うものは無い、上がるしか無い、という状況だったので何も考えずただただ全力で闘えてましたね。
―― 復帰は、一年間にわたる激しく争ったライバル関係の結末にタッグパートナーになった吉岡選手と一緒に達しましたよね。お二人の歴史は今の関係性にどんな影響を与えますか?
ダイヤ 吉岡選手はとにかく良いライバルです、抗争していた期間は毎試合闘ってきました。そうすると相手の動きを読むとかそういった闘い方を覚えれてレスラーとして本当に成長出来ました。
そしてパートナーになってからは連携技なんかを考えようと思えばお互いがお互いを知り尽くしているので色々なアイデアが浮かんできて、最高のパートナーだったんだと気付きました。
キャリアの中でこれ以上のパートナーが現れる事は無いんだろうなと思ってます。
―― タッグチームであったD’Courageはユニットになりましたが、今のDRAGONGATEのなかで、D’Courageの役割や独自性は?
ダイヤ 正義を追求するユニットでありたいです。
明るく楽しくお客さんを笑顔にできるユニットだと思ってます。
―― 吉岡選手の欠場の間、ダイヤさんのD’Courageのなかの役割はどういう風に変わりましたか?
ダイヤ あまり変わってないですね、D’Courageは誰がリーダーって訳じゃ無い、個々がシングルプレイヤーとしての実力者が揃ったチームですからね!
帰ってくる場所を守るために頑張らないといけないという思いはありました。
―― 復帰直後、初オープン・ザ・ブレイブゲート王座戴冠を達成して、それ以来オープン・ザ・ドリームゲート王座と立ち並ぶようにベルトの価値を上げるために全力を尽くしていますね。ダイヤさんがブレイブの特別と感じるところは?
ダイヤ 師匠のドラゴン・キッドさんがこのブレイブゲート戦線を盛り上げていた時を子供の時に見ていたので、特別なベルトです。
それに過去に巻いた選手の中には世界で活躍する選手も多く、価値を下げてはいけないベルトだと思っています。
なので一時若手のためのベルトみたいになっていた事がすごく嫌で、自分が価値をあげようと思っていました。
―― 今年、新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニア、ジュニア・タッグ・リーグの出場で注目を集めましたが、その経験から学んだ最も重要なことは?
ダイヤ それまで自分はドラゴンゲートの世界の82キロ以下のブレイブゲート戦線のプレイヤーという意識で闘ってきました。
でも新日本プロレス参戦を経て、プロレス界のジュニアヘビー級のプレイヤーという意識が生まれました。
視野が広がり、責任感も生まれ、自信にもなりました。
―― 他団体参戦の後に今年のKING OF GATEトーナメントをようやく優勝できるようになったのはなぜだと思いますか?
ダイヤ 色々な選手との対戦を経て闘い方の幅が広がったというのもありますが1番は気持ちの部分だと思います。
自分が団体の顔とならなければいけないという想いが自分を奮い立たせました。
―― KING OF GATEのリーグ戦にYAMATO選手を倒して「俺はDRAGONGATEの未来だ」と発言しましたが、ドラゴン・ダイヤ選手が動かす未来はどのような形になるでしょうか?
ダイヤ 「俺がDRAGONGATEの未来だ」という発言に関しては、菊田円が令和新世代を提唱した愛知県体育館大会の最後。6人が揃うリング上で「俺たちがDRAGONGATEの未来だ」と言ったのをセコンドで聞いていてその悔しさがあっての、令和新世代へ対する宣戦布告的な意味も込めた発言でした。
僕が目指す未来は他の選手もいう超満員のDRAGONGATEです。
―― その勝利の後に、FINAL GATE大会のダブル選手権試合でもう一度YAMATO選手とシングル対戦することになりました。その試合はダイヤさんにとって何ですか?
ダイヤ 年内最後のビッグマッチのメインイベントという舞台で飛躍の年となった2024年の集大成のつもりでした。
15年ぶりとなるドリームゲートとブレイブゲートのダブルタイトルマッチで相手は団体の顔であるYAMATOさん。
自分が新しい団体の顔と証明する最高の舞台でした。
―― ドラゴン・キッドはもちろん、ウルティモ・ドラゴンやダークネス・ドラゴンの影響を受けた技を何発も出した、あまりにも激戦の最後に、YAMATO選手のラグナロクに撃沈されましたが、敗北は今はどう思いますか?
ダイヤ 自分のドラゴンという名前にはたくさんの歴史が詰まっています。
そういう想いを紡いでいくのが使命だとも思っている部分が闘いにも現れました。
勝つ事ができなかったことはすごく悔しかったですが、子供の頃から憧れてきたDRAGONGATEがそう簡単に超えれるもので無くて少しだけ嬉しかったです。
―― その試合が終わって今後の目標は?
ダイヤ 自分が団体の顔として超満員のDRAGONGATEを目指すという想いは変わりません。
ベルトは失ってしまいましたが、注目される選手になったことは変わりないと思うので、今の立ち位置を落とさず団体内外に発信していきたいです。